英語が話せたら(読めたら)さぞかし楽しかろう
ここ2年くらいずっと英語が話せたらさぞかし楽しかろうという強いあこがれのような恨めしさのような何とも言えない気持ちをもてあましてる。
一通りの文法をおさえ、なんとか海外ドラマを英語字幕・音声で観れるくらいにはなってきたのだけどなんせネイティブと話す機会がない。なんなら家族意外の人と話す機会すらない。(バーン)発音の基礎がなってないものでとんでもない読み方をして夫に呆れられたりする。(ヴァバーン)
ということで自宅の本棚に並べられた英語の教科書や参考書などながめつつ今日は己の英語との関係についてじっくり考えてみよう。まずそもそも私は本当に英語を習得するつもりなのだろうか………
………………
(あっちゅーまに時はたち、夜になりました)
寝る前に今は亡き児玉清氏のエッセイ本「すべては今日から」をパラパラめくってみる。児玉さんがとんでもない本の虫で、読み方に節操がないらしく、好きすぎて待ちきれない海外のものは原書で読んじゃうらしいと何かのネット記事で読んだから好奇心がむくむく湧いてきてひとっ走り借りてきた。
「本の虫」といわれる人がどんな読み方をするのか、どんなものを読むのか。知るのは本当に楽しい。
あーこの本はいい本だ。まだ読み終わってないけどそれでもわかる!
児玉氏の本への情熱が最初の5行くらいでびしびし伝わってくる。ビックリマークがふたつ並ぶ(!! )この締めがとびきりチャーミング。そうそうわかるわかるとニヤニヤしながら読むのが楽しい素敵なエッセイ。
こういう本の話をしている本こそ知ってる作品が出てくると更に楽しくなるもの。
でも私は海外作品になると読むのがツラい(カタカナがやたらに並んだり、登場人物をファーストネームでよんだりラストネームでよんだりするところが気になってしまって………)とか言い訳して後回しにして見事にさけてきてるので全然知らない!う〜ん、もどかしい。
なんとここで英語の話にもどるんだけど(雑)もしかして児玉さんみたいに原書でスラスラ読めるようになれば逆に日本語で読むのとはまた違う面白みがあるんではなかろうか?なんていうワクワクが湧いてきた。英語に関して、ちゃんと考えてみるとなんなら別に話せなくてもいいような気さえしてきた。私がやりたいのは英語の文をスラスラ〜と読んだり、海外ドラマを字幕無しで観れたりのほうが価値が大きいのでは…。思わぬところで「あ、その目的のところ明確じゃなかったんだなあ」という気づき。
やるべきなのはまずリーディングってやつでしょうか?!今流行の多読多聴でしょうか?!
いやぁ原書読むのめちゃくちゃ難しいってわかってはいるんですけどね。。。。
ああ、また私の英語への複雑なあこがれと恨めしさがァ・・・!
でも児玉さんが言ってる本、めっちゃおもしろそうなんだよなァ。
原書で読んでみたいな〜
真子